大江健三郎の書くもの                   岩波書店編 沖縄「集団自決」裁判

 

 

自分の好きな人が巻き込まれた争い、

特にその人が最後には勝つと分かっている場合、

それを外から眺めているのは非常に面白い。蜜の味である。

 

 

1960年代、沖縄復帰の以前に、

沖縄を下敷きにした戦後体制の告発と、

「このような日本人でないところの日本人」に自分はどうやって変わるのかという主題で

大江健三郎は長い連作随筆、「沖縄ノート」を出版した。

 

その中で「集団自決」と呼ばれるもの、

沖縄市民が日本軍から自死を強制されていたことに触れた。

 

30年経って、一部の活動家(曽野綾子とか)が、

「日本の名誉を傷つけた、故人への敬愛追慕の感情を傷つけた」として裁判を起こした。

 

裁判の過程で原告側がそもそも「沖縄ノート」を読んでさえいなかったことや、

原告側が挙げた「新証言者」がそもそも実在していなかったりと極めてドラマチックな展開になる。

結果、地裁・高裁・最高裁と原告全面敗訴。

五年間に及ぶ裁判が終わった。

 

しかし副産物として、

「裁判が起こされたということは、事実認定について議論があるということだ」

という理屈で、小中学校の社会科教科書から事件の記述が削られた。

 

裁判の過程で、

日本軍の駐留した島でしか集団死は起きなかったことや

紛れもなく日本軍の使用していた手榴弾が住民の手にあった事まで明らかにされたのに。

 

修正主義というのは怖いものだ。

 

 

空飛ぶスパゲッティモンスターによって原始生命は創造されたと裁判を起こせば

理科の教科書は変わるんだろうか。恐ろしい世界だ。

 

 

大江健三郎、奥平康弘、被告弁護団を含めて10人以上が裁判の経過や解説を、各自のかかわった部分について担当している。

長大な文献の中にクライマックスは二回あって、

一つは判決文が曽野綾子の読解能力がどうやら中学生以下だと指摘するところなんだけど、それは横において、

大江の回想する、裁判記録のこの美しい書き出しを第一に推したい。

 

「秋の終わり、

    若いときには桜の花の美しさが分からなかったように紅葉にも目を惹かれなかった

  (つまり個別の花や葉に目を凝らしても、集団をなすそれには鈍感だった)私が、

   この日頃紅葉にじっと見とれていると、老齢にからめて家内に笑われる私が、

    新幹線の遠山の眺めに顔を上げる余裕もなく、

    裁判の陳述書、書証、その副本の類に熱中していた。」

 

 

 

 

記録・沖縄「集団自決」裁判