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赤信号人間について アーレント「イェルサレムのアイヒマン」

 

 


ナチス下ドイツでユダヤ人の“収容所への移送”を担当していたアードルフ・アイヒマンの裁判の記録。

文中で特に興味を惹くのは裁かれたその人間本人であって、

彼の人格について、(それがこの著作の主題ではないにせよ)多くの行が割かれている。


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アイヒマンの証言

〈ドイツが支配下の属国に対して、(強制労働させるための)100万人のユダヤ人と1万台のトラックを交換を提案した件について〉

「私は慈悲からこの取引を始めたのではありません。私は移動を助け、実行せねばならなかった。」

「命令があれば、私は自分の父親だって処置できた。」



(終戦から20年後に始まった裁判であっても彼はナチスが取決めた“用語規定”から離れていなかった。つまり、殺害を「最終的解決」、「移動」あるいは「特別処置」と呼んでいた。)





〈強制移送の通達に署名したことを問われて〉

「私は責任があるとみなされません。なぜなら、命令に従って署名したことでなぜ罰せられることになるのか、分からないからです。」


〈もしあなたに市民的な勇気があればユダヤ人の運命は変わっていたのではないか、と問われて〉

「もちろんそう思いますよ。市民的な勇気が序列的に構造化されていればの話ですが。」


 

 


アイヒマンの人格

2年間にわたる裁判の間、6人もの精神科医が彼を鑑定し、皆が〈正常〉と鑑定していた。鑑定医のうち一人は、「いずれにしても、彼を診断した後の私自身よりも正常だ。」という言葉を残した。



(文中から引用)
「明らかにアイヒマンは狂信的なユダヤ人憎悪や狂信的反ユダヤ人主義の持ち主でなかった。反対に彼はユダヤ人を憎まない〈個人的な理由〉を充分に持っていた。いかにも彼と最も親しくしていた連中のなかには狂信的な反ユダヤ人主義者もいた。

(中略)

しかしこれも、アイヒマンによれば、「私の親友のうちの幾人かは反ユダヤ人主義者である」という程度のことを意味するに過ぎない。

 遺憾ながら誰も彼を信じなかった。

検事は信じなかった。それが彼の商売であるからである。

弁護人は一顧も与えなかった。アイヒマンと反対に彼は良心の問題などには一向に関心がなかったから。

そして判事たちも彼を信じなかった、彼らはあまりにも善良であり、おそらくはまた自分らの職業の拠って立つ理論をあまりにも意識しすぎていたので、精神薄弱でも思想教育されたものでもひねくれた心の持ち主でもない〈正常〉な人物が善悪を弁別する能力を全く欠いているなどということを認容することができなかったからだ。」



 



車の来ない見晴らしの良い道路で正確に赤信号を守っている人を見ると、法律の命令を受ければ彼/彼女は他人を殺すだろうかと思う。多分、するだろう。

法律に書いてあるからあの人は雇用しない、とか。歴史的には市民が直接に撲殺する場合も少なくないみたいだけど。



赤信号 みんなで渡れば こわくない

 

 

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告