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「豊富な経験と高度の学識」について  津田敏秀「医学的根拠とは何か」


「医師としての長年の経験から、物質Aはガンを治すと断言する。」

「実験により、物質Bにガンを治療する成分が含まれていると判明した。」

「某町8000人を対象とした調査により、物質Cはガンを治療すると分かった。」


A,B,Cのどれが世間で最も信用を得るだろうか?


(健康食品の新聞広告が、市民の信用を得るために最適化されていると仮に考えると、多分、信用度はA>B>>>Cじゃないかな。あるいはB>A>>>Cかもしれない。)

 

 


三者をそれぞれ「直感派(経験派)」「メカニズム派」「数量化派」と名づけて、この本の議論は進む。

話は19世紀初頭、生物統計が出現した頃に始まる。

旧来の医学者たちは直感派として、
勃興しつつあった生理学・細菌学の学者はメカニズム派として、
そして統計学者とごく一部の先鋭的な医師が数量化派として、
新しい治療法の評価を巡って三つ巴の激烈な論争があった。


それぞれの言い分が面白い。

 

王立医師会の評議員、フィリップ・スミス氏(直感派)
「われわれは決して理論に従ってはならない。

たとえ論理的演繹で何が現れても、どんな天才による説明も、
どんな明らかな結論を統計学が示そうとも、どんな尊敬すべき権威が言おうとも、
実践的医学の試金石である経験にとって代われない。」

 

細菌学者、アームロス・ライト(メカニズム派)
「医師たちが実験室で訓練されることが間もなく要求されるようになるだろう。」

 

生物統計学者(数量化派)
「目の前にいる患者を、敢えて数えないことの正当性は一体どこにあるのか。」

 

この議論を中心に、

92年のEBM宣言に終わる疫学、医療統計の歴史が本書の前半部分でまとめられている。

JAMA Network | JAMA | Evidence-Based Medicine: A New Approach to Teaching the Practice of Medicine

 


後半部分はこれまでの国内の公害問題において疫学的管理がいかに遅れていたかを
滔々と、というより実名を挙げて非常に厳しく述べている。

例えば水俣病診断基準作製にかかる椿忠雄先生の姿勢はかなり激烈に批判されている。

 “新潟大学医学部の椿忠雄医師が昭和52年判断条件を作ったプロセスを述懐した環境庁研究費の報告書にはデータは全く存在せず、自分はこう思ったということ(つまり直感)しか書かれていなかった”

 

 

 素晴らしい文章が多かったので心に秘めておく必要がありそう。


“「疫学で分かるのは相関関係であり因果関係ではない。」

疫学データや分析結果を見てそのようなことを言い出す先生には

「では因果関係は具体的にどんな方法で分かるのですか?」そう聞き返してみればいい。

まず答えが返ってくることはない。

病気のメカニズムが分からないと原因が分からないなどと言うのは、
ミクロのレベルほど科学的であると信じる要素還元主義者で、
その自覚なく、「原因とは何か」を考えない人間の決まり文句である。”

 


ところで読んでいて改めて思ったのは、
物の道理を知ったような顔をして
遺伝子組み換え食品でビョーキになるなんて“あり得ない”じゃーん、」などと言う人がいるけれど、この状況 を見る限り、「なんとも言えないよね」ってのが少なくとも科学的には誠実だと思う。

 

 

医学的根拠とは何か (岩波新書)