文系は陰影でも礼賛してろよ  芥川也寸志「音楽の基礎」


The Art of Fugue, BWV 1080

 

中学生くらいまで、
楽譜というものに何か強い違和感があった。
その違和感の中身をはっきりさせる言葉とやる気がなくて
きっと自分には音楽が向いてないんだろう、と判断していた。

 

高校生になり、
テンポというものは演奏者が自由に決めるものだと知り、
違和感その1が解消された。

音楽の先生が叩く「いっぱく」の長さが毎回違うことが疑問の大部分だったことに気が付いた。

 

違和感その2は大学生になってやっと解決された。
拍子の単位に何を使うかは作曲者が自由に決める、ということを知った時だった。

4分の3拍子と8分の6拍子が同じ意味だということは自分にとって非常に大きな発見だった。

 

それまでずっとモヤモヤとしていたものが、
ある日それを表す適当な言葉を得た瞬間に氷解するという経験は、
勉強していて楽しいと感じる瞬間だ。

小学生の時は「いっぱく」の意味も分かってなかったし、
ましてや4分の4拍子だとか2分の3拍子だとかチンプンカンプンだった。

(正直に言うと、「きっと約分もない未熟な学問なんだろう」と思っていた。
それを口にする機会がなくて非常に幸運だったと今では思う。)

 

この本を読みながらそんなことを考えた。

 

…しかしつくづく不思議なのは
音楽の授業で譜面上の一義性が扱われたことがあるとは思えないのに、
周りの人が割と自然にそれを理解しているように思える点だ。
もしかして自分が忘れているだけでそういう授業もあったのだろうか。

「拍子の単位を、四分音符にするか八分音符にするか、或いは二分音符にするかはまったく作曲者の感覚の問題であって、今日では一拍を四分音符とするのが常識的ではあるが、中世では全音符が標準であったしその後は器楽の発達に伴って二分音符が標準とされたんですよーいいですかーここテスト出ますよー」的なやり取りがあったんだろうか?

 

 

後半には比較文化論としての音楽もあった。

日本文化論というと
やれ陰影がどーだとか移りゆくものがどーだとかステレオタイプなものばかりだけれど(イングリッシュガーデンにも四季はあるだろうよ)、


和楽器と西洋楽器の対比された以下の文章はよかった。

「日本の民族楽器は、笛の類でも太鼓の類でも、琴や三味線のような絃楽器でも、楽器の構造は一見きわめて単純である。
一方もっとも一般的なヨーロッパの楽器であるピアノは、構造的には比較にならない複雑さをもっている。
ところがその楽器から出される音色は、日本の楽器とは比較にならぬほど単純なものだ。
音楽に限らず、日本人は古来、単純なものから複雑なものを引き出すことに熱中し、
ヨーロッパの人たちは、複雑さの中から単純なものを引き出すことに情熱を傾けたのである。」


“複雑さの中から単純なものを引き出すことに情熱を傾けた”はヨーロッパ各地の富豪が物理学者や数学者を囲んで研究させていた時代の科学にも通じるように思う。


(ところで日本語で「あなたって単純ね。」と言われて喜ぶ人はいないと思うが、
英語でsimple manってのは中々な褒め言葉であるように思う。中身の報酬系は変わらないのに不思議なことだ。)


Simple man - Lynyrd Skynyrd

(婚前交渉を原因に打ち首になった女性のニュースよりも、

こういうドクロTシャツな男性がMama told me..って歌いだすことの方が、

越えがたい文化の壁を強く感じる。)

 

 

 

音楽の基礎 (岩波新書)