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最高裁は美魔女である -藤田宙靖 「最高裁回想録」  

 

“実際、最高裁判事になることによって、大学からの円満退職を始めとし、
他の仕事からは一切手を引いて最高裁での仕事に没頭することができたのであるが、
実はこの「裁判だけやって居れば良い」というのが曲者であって、
それは結局、いわば懲役囚に対して「お勤めだけしていれば良い」というのと似たようなものだということが分かるまでには、そう時間は掛らなかった。”


東北大学行政法教授として学界から(つまり弁護士や検事、裁判官といった職を経ないで)最高裁判事に登用された藤田宙靖は、その後7年半に渡って判事を務めた。
本書は、彼が退職後に発表した原稿や講演内容をまとめたものである。

 


一つ、特に印象的な部分があった。

第6節 憲法事件と近時の最高裁 ‐最高裁は保守的(conservative)か?‐

と題された小節。
ここには、退官後に最高裁OBとして海外のシンポジウムに参加した時の
やり取りが収録されている。


「人権侵害の主張がそのままに入れられたケースが少ないという事実のみを以て、
直ちに、日本の最高裁は人権保護の意欲に欠けるというのは、飛躍である。
従来日本の最高裁判例上行って来たこの線引きについて、
日本の法律学者とりわけ憲法学者の多くは批判的であり、最高裁の「保守的傾向」声高に言われて来た。
(中略)
しかし、最高裁としては最高裁なりに、
少なくとも主観的には、自らが中立公正な立場からする最良の判断と考えるところを行って来たのであって、一方的に個人の権利を無視して来たわけではなく、
ましてや政権党・自民党に迎合して来たなどということはないというべきである。」

 

人権保護の意欲に欠けるという批判に
「少なくとも主観的には、」なんて言葉が弁明になるとは、
まさか著者も思っていないだろう。
だから逆に言えば、ここまで言わないといけない位に、
「司法が変わらないこと」に対して、ある種のもどかしさを彼は内部化しているのではないだろうか。

 

 

分野の違いが生むスケール感覚の違いを感じた記述もあった。

最高裁内部には、1人の最高裁長官、14人の裁判官、約40名の調査官から成るピラミッド構造があり、
年間9000件に及ぶ事件を処理するために、
まず調査官が各事件について概要と判決の方向性を示し、
そのうえで報告書を判事に提出し、
それに沿って判事が議論し判決を下す、というシステムを採っているらしい。)

 

“調査官報告書が「上告棄却」との結論を選択しているのに、
裁判官から異議が出て、審議の結果破棄なるような判決と例も、無いではないから、調査官に何をどこまで委ねるかは、十分慎重に考えなければならないことは言うまでもないが、そうだからと言って、千に一つのそのようなケースを発見するために、
最高裁に来る年間9000件の事件を残らず裁判官自身が検討しなければならないというのは、明らかに人材の浪費であると言わざるを得ない。”


1000件に1件という頻度のエラーを訂正するのを、「人材の浪費」と言い切ってしまうのには、相当な衝撃を受けた。
確かにエラー率0%のシステムを構築するのには無限大の労力が必要だろうが、
それにしても年間9件という規模の構造的な誤りを訂正しないというのは、
ちょっと理解し難い。

 

院内感染を防ぐためにといって、
医師やナースが1日に20回も30回も手洗いをしていることに比べると、
その点では、楽な仕事なのかなとも思ってしまう。

 

 

でも他方で、こんな記述もあるのだ。


「法廷で「人殺し!」と叫ばれたことにショックを受けて熱烈な死刑廃止論者となったという学者出身の元裁判官の話を聞くが、
もしもそれが事実であったとするならば、随分甘い考えで最高裁に入られたのではないかという思いを否定することができない。」

 

厳しい世界だ。

 

最高裁回想録 - 学者判事の七年半