序章の感想  チョムスキー「生成文法の企て」

 

3日くらいかけて訳者序章の"基本的問題設定"と"論点の整理"を読んだ。

生成文法については、wikipediaに毛が生えたほどの知識しかなくて、こんな風な主張だとこれまで考えていた。

「あらゆる言語に共通した、(普段は見えない)文法的な上位構造があって、それのvariationとして、世界中の各言語がある。」

ただ今回"論点の整理"の内容を咀嚼すると、僕のこれまでの理解はかなり違っていて、短くまとめるとこんな主張になるみたいだ。

「言語機能に関する何らかのシステムが、(地域や環境に関わらず)全ての人に共通している。」


② 生まれた場所や、受けた教育と独立にヒトが一般に持っているもの…
そうか、つまり生成文法ってのはcognitive scienceの言語に係る部分の話なのか。と思った。(だけどそうでもないらしい。)


③ 「人間の言語機能」に関して、
仮説を提出したり枠組みについて議論することと、
実際どうなっているのかについて議論すること、
それぞれに別の意義と成果があるだろうけど、もし後者の意味で研究を進めるなら、neuroscienceの方法論しかないじゃないかと思う。
数学的なモデルを組んで"一次言語データ"を大量に投入して結果観察してもそれって最終的にはモデルを評価しているだけになるし。


④例えば視覚認識とか聴覚認識には生物学的な
(つまり地域や環境に関わらず全ての人に共通しているような)メカニズムがあることは知られているし、それらを統合したものであろう言語機能も多分、(検証に耐える形で取り出せるかは別として)あるだろうと想像している。


一方で、これが言葉遊びのような気もするけど、
「ヒトの意思疎通の(量的・質的な)能力」に偶然適合した体系(群)が「言語」としてそれぞれ広がったんじゃないかと想像している。

 


ヒト脳が宿主で、各原始言語がmemeとなって、
ヒト生活圏が腸内細菌叢みたいにウヨウヨ雑多な言語で満たされてる様子。


⑤序章の文章からは、言語についての目的論的な説明を探しているような印象を受けた。(生成文法が現在「記述理論」の段階であり「説明理論」ではない云々)


池田晶子だったと思うけど、
「ビッグバンが"どのように"起きたかを、物理学は明らかにするかもしれない。でも宇宙が"なんのために"生まれたかを科学は説明できない。」
これは厳密に正しい。
厳密に正しいから、つまり、言語学者が目的論的な説明も同時に求めるなら、scienceとは違った立場にあるのかもしれない。


(周りの人間も学校の授業も、みんな等しく生物学にどっぷりと浸かった環境にいると、目的なんかどーでもいーじゃないか上手くいってるんだし、という考え方に変わってきているのを最近特に感じる。ある面では少し怖い。一方で前からこうだった気もする。)

余白に書き込みながら読書をするのが久しぶりなのでしばらく楽しいと思う。
いい本が見つかったようで嬉しい。

 

 

 

おわり