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大西洋を越えて  レヴィ=ストロース「悲しき熱帯」

 

 

「私は旅や探検が嫌いだ。」
 
 
 
この本の有名な書き出しだけれど、改めてフランス人の偏屈さを、そして偉大さを、
ドンと目の前に突き出すような第一文。

もっと言うと第一部タイトルが“旅の終わり”で、その中で第一章が“出発”。
全く性格がねじくれている。
(さらにさらに書き加えると、作中で著者が実際に旅に出るのは第三部からだし、
そこに至るまで読み始めてから100項以上ある。)


第一部は彼が民族学者になるまでとそれに付随する考察なんだけれど、
この部分は色々と思うところが多い。以下引用
 
 
 
 
 
「1928年頃には、様々な学科の一年目の学生は、二つの種類というより、
ほとんど別個の二つの人種と言ってよいようなものに分けられた。
一つは法科と医科の学生で、もう一つは文学と自然科学の学生である。

(中略)
 
一方には、騒々しく無遠慮で、およそ最低と思われる俗悪さと手を握ってでも世の中を安全に渡ろうと心を砕き、 政治的には極右を志向している「若者」。


そしてもう一方には今からもう老け込んでしまった青年たち、慎重で、引っ込み思案で、一般に「左傾」しており、 彼らが成ろうと努めているあの大人たちの仲間に今から数えられるべく、苦行している青年たちがあった。」




なるほどと膝を打つような、とても明快な説明がこれに続くんだけど、興味のある人はぜひ読んでみてね。
 どっちがどっちを指してるか、分からなくする為にわざと中略してみました。
 
 
 
 
…といっても、やはりこの本は文化人類学の著作なので、本論にも触れるべきだと思うんだけれど、

例えば、


・「彼らは人間の肉を食う。彼らには正義というものがない。彼らは素っ裸で歩き、蚤や蜘蛛や生の蛆虫まで食べる…。彼らは(以下略)」ということを根拠にスペイン議会が「インディオは、野放しの獣のままでいるより、
人間の奴隷になるほうが望ましい」と結論した事と、

・捕らえた白人を何人も水に投げ込んでは殺し、それらの死体が腐るかどうか見るために溺死体の周りをインディオが何週間も見張っていた事

の二つを引いて彼はこんな風に書いている。以下引用。


「第一に、白人は社会科学に頼っているが、インディオはむしろ自然科学を当てにしている。第二に、白人がインディオは獣だと宣言しているのに対し、インディオは、白人が神かどうか疑ってみることで満足している。
 
どちらも同じように無知に基づいているが、後者の遣り方のほうが、明らかに、より人間に値するものであった。」


全く素晴らしい切れ味だと思う。


第五部から個別の文化人類学的な観察が始まって、(彼らのグループが収録した素描・写真が多く並ぶ) 一例を挙げるとこんな神話が採録されている。

 

 

(ある地帯で、グアナ族がムバヤ族に奴隷として仕えている)
  
最高の存在であるゴノエンホディが人間を創造しようと決めた時、
彼はまず大地からグアナ族を、次いで他の部族を引き出した。
それぞれの分担としてグアナ族には農業を、他の部族には狩猟を与えた。


そのとき、先住民の万神殿にいた別の神、「欺す神」は、ムバヤ族が穴の奥に忘れられていることに気づき、彼らをそこから出させた。

 

しかし彼らには何も残されていなかったので、彼らにはまだ残されていた唯一の役、他の部族を抑圧し搾取するという役の権利を手に入れた。




これに対するレヴィ=ストロースの感想。

「これ以上に深遠な社会契約がかつてあっただろうか?」


 
訳文も章立ても読み易いし、とてもいい本だと思う。
これだけ長い時間かけて読み進めた価値があったと思えたのは「冷血」や「百年の孤独」以来かもしれない。 実際に二ヶ月くらいかかった。

何がすごいってココまでで上巻の感想文なんですよね。
 精神力に余裕があるときに下巻の感想を書きます。

 

おわり